精神分析家、臨床心理士

岡本亜美のオフィス

東京、西新宿(初台)

「体験」としての精神分析

「体験」としての精神分析

以前、書いたブログの記事を加筆修正したものです。
精神分析は「学ぶ」ものではなく「体験」だと書きました。

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フロイトの著作はとても多いけれど、どれが何冊売れた、という細かい統計はどこに載っているのだろう。
『夢解釈』は初版を捌くのに10年以上かかっている。
その5年後に出た『日常生活の精神病理学』はかなり売れた。
これが一番売れた本かもしれない。

つまり、本来、精神分析は日常生活的であり、
そこでの失敗や病理に困っている人たちに必要とされ、
提供されてきたということだろう。

時間もお金もかかるという点でも日常生活的だ。
生活療法的ともいえる。

精神分析を「学ぶ」人は多い。
しかしこれが単なる「学ぶ」ものではなく体験となるためには
これを身近に感じてくれる人が増えることが何より重要だろう。

「受ける」という受け身的な表現は相応しくない。
精神分析はふたりでいること、二者の言葉を大切にする。
ともにいる体験をする。
今ここで、カウチ とその背後で生じる出来事を丁寧に写しとっていく。
そういう「体験」であり、そこは受動と能動が反転しつつも共存する場である。

『日常生活の精神病理学』、私たちが抱える日常生活の病理、
その多くは無意識と関係している。
自分の無意識を知ることは痛みや苦しみや恥の感覚を伴うが、
ともにそこを生き直せればこれまでとは異なる景色や感覚と出会える。

それは良い悪いなどの価値判断とは関係なく
自分のこころが徐々に自分の身体に住みつくプロセスといえるだろう。

A dog is dog;psychoanalysis is psychoanalysis

トップページでは、ビオンの
「思わしくない仕事に最善を尽くすこと」(1979)
から引用した。

精神分析について語る言葉は数限りなくあるが、
私はOgdenの
This art of psychoanalysis
Dreaming Undreamt Dreams and Interrupted Cries
で引用されるBorges,1946が精神分析というものをよく表していると思う。

A dog is dog;psychoanalysis is psychoanalysis;’the world,unfortunately,is real [unwaveringly itself];I,unfortunately, am Borges

それ以外言いようがないものって私もあなたも精神分析もあれもこれもそうらしい。

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